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大津地方裁判所 昭和49年(わ)273号 判決

主文

被告人を禁錮一年二月に処する。

ただしこの裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるところ、昭和四九年一〇月九日午後一一時過ぎころ、普通乗用自動車を運転し、大津市藤尾上横木町六四〇番地先国道一号線路上を時速約六〇キロメートルで東進中、左右に通ずる道路との交通整理の行われていない交差点にさしかかり同所を直進通過しようとしたが、同交差点東詰には横断歩道が設置されていたのであるから、このような場合自動車運転者としては速度を調節し、前方左右を注視して横断歩道上の横断歩行者の有無および動静に留意し、横断歩道上の安全を確認して進行し、事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、時速約五〇キロメートルに減速したのみで左方道路からの右折車両に気をとられ、横断歩道上の横断者の有無等その安全を確認しないまま進行した過失により、おりから同横断歩道上を右から左に向けて横断歩行していた政田太喜雄(当時三六年)を見落とし、その手前約八・三メートルに迫ってようやく発見し、あわてて急制動の措置を講じたが間に合わず、自車右前部を同人に衝突させてボンネット上にはね上げたうえ付近の路上に転落させ、よって同人に対し頭蓋内出血の傷害を負わせ、そのため同人をして即時同所において右傷害により死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、所定刑中禁錮刑を選択し、被告人を禁錮一年二月に処し、後に述べる情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予することとする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、本件事故現場は「交通整理の行われていない交差点」ではなく事実上交通整理の行われている交差点に該当するのではないかという主旨を主張するが、昭和四四年五月二二日最高裁判所第一小法廷決定からして右主張は採用しえない。ところで、前記判例の事案が車両対車両の衝突事故で、押ボタン式信号の有無は問題にならず、その存否は不明であるのに対し、本件は車両対歩行者の衝突事故であり、押ボタン式信号の存在は極めて重要な判断要素であるが、信号灯が点滅しているのみで、未だ作動していない押ボタン式信号機の存在のみをもって直ちに本件事故現場が交通整理の行われている交差点と解することはできず、この場合は交通整理の行われていない交差点を歩行者の押ボタンを押す行為により容易に交通整理の行われる交差点に転化しうる可能性があるにすぎないと解すべきである。したがって、事故当時本件事故現場にある押ボタン式歩行者専用信号の信号灯は消滅していて、国道側信号は黄色信号、左右に通ずる道路側信号は赤色信号がそれぞれ点滅しており、歩行者が押ボタンを押すことによってはじめて信号の色が変わり交通規制が行われることになるのであるから、押ボタンを押すまでは本件事故現場は、信号機の表示する信号の「進め」「注意」「止まれ」等の表示による交通規制の行われていない交差点すなわち道路交通法三六条二項、三項に言うところの「交通整理の行われていない交差点」なのであって、歩行者が押ボタンを押し信号灯により交通規制が行われた場合にはじめて「交通整理が行われている交差点」となると考えられる。したがって、押ボタンが押されず交通整理の行われていない段階においては、前方の横断歩道上の横断者の有無ならびに動静を注意してその安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務は何ら軽減されるものではなく、まして被告人は職業運転者であるうえ、事故現場は日に五、六回も通行する熟知した交差点である以上、その不注意は重大と言わなければならない。弁護人の主張は採用することができない。

(情状)

本件事故現場は前記の如く交通整理の行われていない交差点といいうるが、被害者は、手近にある押ボタンを押すことにより容易に交通整理の行われる交差点に転化して、信号灯の表示を変えることにより、安全且つ確実に交差点を横断しうるにもかかわらず、不用意にも押ボタンを押すことを怠り本件衝突事故を惹起せしめたのであって、結果の悲惨を思えば死人に鞭打つことになるのは忍びないが、本件衝突事故において、被害者の周倒な注意が欠けていた点は指摘されねばならない。そして、被告人の改悛の情も顕著であり、多額の弁償と慰藉もなされ、示談も成立し、遺族も減刑歎願書により宥恕の意思を示していること等を考えあわせると、被告人に同種の前科はあるが、なお年も若い本人の今後の更生を期したいと考え、刑の執行猶予をもって処断することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 瀧川春雄)

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